KOIKAZE 「Pyramid blast order or The Gospel to the lovers of the 21st century」
この商品のレビュー
VARIATIONS OF SEX、PRIMABOXXのまる山まる子と、いくつかのユニットでレコーディング&パフォーマンスを行っている本木克昌の2人によるスペシャルユニットKOIKAZE(恋風)の1stCD。
恋風[ピラミッド爆破指令もしくは21世紀の恋人たちへの福音]
「唄モノ」「脱既成ノイズ」をキーワードとして繰り広げられた丸山と本木、そして音楽との三角関係。三者の二年にも及ぶもつれにもつれた大恋愛(遠距離)の果てに産み落とされた奇形児が今作である。
灰野敬二や水谷孝(裸のラリーズ)を想起させる丸山の妖しく美しい歌声にアブストラクト/サイケデリックなハーシュノイズ、本木の発狂スキャット及び治外法権的サンプリング等両者の個性が暴力と必然との絶妙なバランスで融合したアバンギャルド歌謡。
また、近年の引き籠もり系ゴアグラインド勢やKUKNACKE等にみられるサンプリング手法を一歩先に進ませたような曲構築のハードコアにボディーコンシャスなその質感は、素材の良さを活かしすぎた日本料理が鈍行のジェットコースターに乗りながら映画を観るような、フランス料理的なコース料理として振る舞われるようで、極度に幻想的である。
ノイズ、サイケデリック、昭和ロック歌謡からシューゲイザー、グラインド、メタル、ヘヴィロック、果てはヒップホップ、アニメソング、ヴィジュアル系までと、まるでユニット名の由来である血の繋がった兄妹による禁断の恋愛を淡く描いた伝説的深夜アニメのテーマを象徴するかのごとく、あらゆる音楽的禁断とジャンルのボーダーを乗り越えユーモアとシリアスさえも呑み込んで到達した新世紀型唄世界!
シュールなコラージュと緩やかなノイズの嵐の中で「あなたの感情に価値など無い」と囁きかける二曲目、独善的な解釈は、音楽との恋愛が故に必要とされたものなのかと考えさせられる編集系アヴァンギャルドノイズグラインドの三曲目、物音等により侍が、幼児退行願望と女性変身願望をチャンプルーされた筈であるサイケの4曲目、幸福への痛みを表現したかったであろうが結果、意味不明系センチメロディック・ダダな5曲目、歴史的アニメ映画の主題歌に余りにも大胆な解釈と解体再構築を施したカヴァー曲を盛り込んだ20分超にも渡る荘厳なサイケプログレッシブノイズ組曲である6曲目まで、リスナーの聴覚に甘く危うい恋の罠を仕掛ける全6トラック64分。
大作指向の曲が多く長尺のトラックが続くが、その内容はバラエティに富んでおり最後まで不思議と通して聴ける構造になっていることも特筆すべき点と言えよう。
本木の手がけた秀逸なフルカラー3面見開きのアートワークも見所の一つ。
KOIKAZE(恋風(こいかぜ))プロフィール
ノイズ周辺のシーンで以前から各々で活動を続けていた二人のアーティストが出会い、形骸化する現在の「ノイズ」への疑問を感じていたことをきっかけに、「脱ノイズ的アプローチと両者の趣味であるオタク文化を唄ものとしてまとめ上げる」という様なゆるいコンセプトで立ち上げられたスペシャルユニット。制作が進むにつれぐらつくコンセプトを持ち前の駄駄イズム的ドンマイ魂で支え、2年間の時を経てようやくアルバムリリースとなった。
その音楽性は、これまでの音楽/非音楽を問わず多種多様なジャンルの音をサンプリングや演奏手法として取り入れたうえで独自の感性でミックスしており、既存のジャンルに収まらない強いて言うならば編集系アヴァンギャルドサイケノイズ歌謡たるもので、実験音楽の新たな方向性を示すユニットであった。
残念な事にアルバム1枚だけのスペシャルユニットの様だが二人は今後も各々の活動を続けて行くというから楽しみである。
メンバー:
○まる山
前世紀末より宅録でノイズ制作を始める。ヴァリエーションズ・オブ・セックス名義で電雑とドッツマークよりそれぞれ二枚のアルバムを発表後迷走を続ける。「恋風」終了後一旦活動停止。現在は名前を本名の「まる山まる子」に戻し一人編成のロックバンドとして一切の編集行為を放棄、全楽器生の即興演奏に再生を賭けている。理由は「死んだ様に生きるのはイヤだから」。
それにしても今、七夏と耕四郎はどうなっているのでしょうか?そして千鳥は...
○本木克昌
音楽を愛しすぎた男。2003年頃から録音活動を本格的に開始し、様々なユニット名で地道なペースながらインパク値の高い作品を発表し続けている。2005年頃から、こちらもマイペースながら音楽という表現形態にこだわらず、総合芸術的なバカパク値の高いライヴをやり続けている。性格は生まれついての外れ者、ややズレた感覚の持ち主。つまりアウトサイダーアーティスト的な側面もある。目先の評価にとらわれず、本能の赴くままに任務を遂行するという表現に対する妥協無き姿勢は、簡単に言えばアナーキーそのもの。私の表現には常に獣臭が付きまとう。つまりマジなのである。
近年では、俺はいつだって攻めてる奴が好きだぜという、より突っ込んだ表現を目指した結果コミニュケーションアート的な色を強め、必然的に「コミュニケーションって何?」「表現って何?」「音楽って何?」といった極めて根本的な疑問、つまりアヴァンである事のポップさを示唆している。
以下本人談ーーーーーーー
最近は良い悪いの問題じゃない、やるかやらないかだ!くらいの(笑)覚悟でやらなくちゃいけないように感じてますね。特にライヴは。あくまで理想ですが、他人にどう思われようがどんな手を使ってでも面白いものにしてやるというつもりでいます。そうでなきゃ俺みたいな才能の無い奴の表現なんて箸にも棒にも引っかからないですよ。
最後に皆さんへ言いたいことがあります。
「笑えばいいと思うよ」
01.イントロ
02.子宮バウンド 〜あなたの感情に価値などない〜
03.Live At Hanegi Kouen
04.僕は女の子になりたい
05.幸福への痛み
06.組曲 :魂のルフラン (恋風のめざめ〜魂のルフランI〜シスターレイ〜魂のルフランII)
ツイート